ギターの流行り廃りというのも年表的に並べて考えてみるとオモシロイです。
ちなみにエレキギターの歴史はロックの歴史とも言えるのですが、ロックの歴史が1950年代半ば頃が始まりと仮定するなら現在の2011年まで一体どのように変わってきたのか?
これって真面目に書いたら本1冊では納まりませんし、そんなものを書ける才能もないので、いつもの様にザ〜〜〜ッと割愛させて頂きまして時は1980年代(割愛しすぎだろっ、汗)。
1980年代というのは、では一体どういう時代だったかと申しますと、すぐに思い浮かぶのが“バブル”ですね。「北の国から」の倉本聰さんの本などを読んでおりますと、北の国からが放映されていた1980〜81年にはすでにバブルの予兆があったとのことですが、一般的に言われているのは1986年から1991年までのようです。が、これ以上はここでは触れません(笑)。
では当時の風潮はどのようであったか?なんとなく思い浮かぶのは
「軽薄短小」なんて言葉が流行ってました。ライトでスタイリッシュなイメージと言いますか、そういったものがもてはやされていたと言いますか、あとはそれと通じるかもしれませんが
「マルチ人間」とか…。
すでにこの言葉でおおよその雰囲気はわかるのですが、仮にその言葉を逆にしたらどうなるか??
「重厚長大」、「コア人間」です(笑)。
これって実はエフェクターで考えるとオモシロくて、「重厚長大」とか「コア」というのはエレハモに代表されるコテコテのアナログエフェクターですね(笑)。で、逆はそのものズバリ、マルチエフェクターに代表されるデジタルものでしょう。つまり、単刀直入に申しますと、80年代とはマルチエフェクターの様な多機能でスタイリッシュなものがもてはやされた時代であったと。それを何かに代表させますと楽器で言うならシンセサイザーやリズムマシンであった…そういうことではないでしょうか??
デジタル技術が急激に進歩した、1983年に発売されたYAMAHA DX-7というシンセサイザーが世界を席捲していくわけですが、その後はROLAND D-50、KORG M1や01Wが当時の内外のライブ映像を観ると大体ステージ上に見受けられますね。当時はギタリストが機材を投げ打ってシンセを購入し、宅録に没頭なんていうのがよくあることでした。
またOberheim、Sequential Circuits 、E-MU、PPG等の外国製シンセやサンプラーもとんでもなく高価な値段ながら某音楽雑誌の楽器店広告を賑わしていくわけです。そのバックグラウンドとしてはMIDIというそれらの機械を同期させる世界的な企画が生まれたというのもありました。
そんな中、アナログ的なものは重いとか厚いとか不器用だとかといった理由で次々に排除されていき、ヴァーチャルながらも便利性や合理性のみが全ての基準になっていった時代。レコード盤からCDになったのもこの時代でした。
というわけで少し話題がずれましたところで、ギターに話を戻しましょう。
ロックが誕生し、エレキギターがいわゆるシーンにおける楽器のホームラン王だった時代が続いたわけですが、この80年代に限っては見事に首位から脱落します。前述いたしました通り、シンセサイザーにそれを奪われてしまうわけですね。
「そんなことはないだろう?80年代と言えばアメリカン・ハードロック全盛だったではないか?」
と思われる方もいらっしゃるでしょうが、実は少し違うのです。
エレキギターはデジタルの技術革新全盛だったこの時代、独自の進化を果たすのですが、それは
フロイドローズに代表されるロック式アームユニットと
EMGに代表されるアクティブピックアップをマウントするといったものでした。問題は何故そうすることが流行したか?と申しますか、そうせざるを得なかったかです。当然当時の人気ギタリストが流行らしたわけですが。
これは独断と偏見の考えですが、この時代、ギターサウンドをよりシンセサイザーに近づけようとしたというのが私の見解です。それには以下のもっともな理由があります。
1.デジタル技術の発達により、同時にレコーディング技術も発達したわけですが、この時代からレコーダーのマルチトラック数が極端に増えた為、ひとつひとつの音を他のトラックに被らないように録音するのが常識であった。
2.リズムマシンやシンセサイザーは1音色ごとにしっかりラインでマルチトラックに録音していく為、そこに現場の空気感を録音するといったものが時代遅れとして排除されていった。
3.そうして録音された音源はコンソール上でしか混ざり合うことがなく、結果的に人工的で無機質なミックスをこれも当時急激な進歩を遂げたスタジオエフェクト処理等で派手にすることが流行った。本来エレキギターはミッド命の楽器であり、その表情こそが長年エレキの醍醐味と言ってよいものであったのに、その時代のオケ<音源>の中では極端に浮くか、沈んでこもってしまい前に抜けてこないことが多々あった。
4.よって次第により音色の固い、ドンシャリ系のエレキの方がオケに馴染み、音が前に出るといった理由から重宝されるようになる。
5.エレキギターのミッドが馴染まないということは、本来のエレキ独特の味は必要なくなり、代わりに派手なアーミングでも狂わないといったより機械的要素が重視されたり、味はあってもパッシブでノイズが多いピックアップより、無機質でもアクティブでノイズがなく、エフェクト乗りの良い(そのままライン直で対応出来、後で加工できる)ものがよりエンジニアに好まれた。
6.ゆえにそんな状況の中、エレキギターの構造もサウンドも奏法自体も必然的に変わらざるを得なくなくなった。
以上の理由から80年代は<エレキギターがシンセサイザー化した>と勝手に考えているわけです。
結果的にそういったギターというのはギター本来の生鳴りどうのではなく、あくまで機能面が重視されており、また前述したようなライトでスタイリッシュなイメージの
スタインバーガーなどは見方を変えれば非常にシンセサイザー的(ショルダーキーボード的?)と言えます。当時流行し始めたマルチエフェクターと共にそれらのギターは時代の寵児と呼んで過言でないかもしれません。ただし、そこから始まった伝統はより進化し、形を変えながら現在でもしっかり残っていますが。
そんなわけでエレキギター本来の音というのが、この80年代という時代のみ、様々な背景から変わらざるを得なかったとすれば、それはシンセに王道を手渡したととれなくはないわけです(ほんまかいな、笑)。
ただこの時代、スティービー・レイ・ヴォーンだけは頑なまでにエレキギター本来のサウンドにこだわり、極上のストラトサウンドを響かせておりましたが、実際にそのようなサウンドが再評価されたのは90年代になり、ギター本来のサウンドがシーンに戻ってからですね。
つづく